クラシック音楽とオーディオが大好きなblog

とてもゆる~いファンです。悪しからず・・・

アンチ・カラヤン

 「アンチ・カラヤン」というのを耳にすることがあります。そういえば10年くらい前にも『カラヤンがクラシックを殺した』などという本が売れていました。「殺した」だなんてずいぶんな言い様ですが、なぜそれほどにカラヤンを忌み嫌う向きがあるのでしょうか。その理由として挙げられているのが、「深みがない」「表面的だ」「曲を突き詰めていく作業が感じられない」などです。

 アンチの人たちが比較対象としているのは、おそらくそれまでの大指揮者時代の巨匠たちなのでしょう。フルトヴェングラーあたりがその代表格でしょうか。しかし、ある人が言うには、カラヤンとそれまでの偉い指揮者と比べて決定的な違いがあるそうです。それはレパートリーの広さです。それまでの巨匠は、極端に言えば自分の十八番さえ演奏していればよかったのに、カラヤンの守備範囲の広さは圧倒的で、しかもそれらをいずれもカッコよく、いとも簡単にやっているように見える。

 そうしたところがアンチの人たちの癇に障り、前掲の「深みがない」などの批判理由につながったのでしょうか。さらに「帝王」とも呼ばれ世界中でもてはやされたカラヤンですからね、「出る杭は打たれる」か、あるいは「判官びいき」の逆の意識作用が働いたのかもしれません。ほとんどの曲を暗譜で指揮し、時おり目をつむって振るスタイルもイヤミだと評されたとか。さながら「坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い」って感じです。

 だけども、特定の得意な曲しか演奏しなかった古い巨匠たちと、広範囲に演奏したカラヤンをそのまま比べるのもフェアではないともいえます。あんなに多くのレパートリーをこなせば、なかには出来が今一つのものも出てくるのは当然でしょう。むしろその進取敢為の精神は大いに評価されてよいのではないでしょうか。そして、カラヤンは、自分が苦労している姿を絶対に見せなかったといわれます。いつもスマートで涼し気だった。しかし、あれほどの仕事をこなした人が、苦労しなかったはずがありません。

 かつて元横綱貴乃花さんがこんなことを言っていました。「プロは『努力をしている』などと言うのは禁句の世界です」って。私はですねー、そうした陰の努力の部分を全く見せなかったカラヤンは、まさしくプロ中のプロだったと思うんです。それから『カラヤンがクラシックを殺した』の著者は、カラヤン大衆迎合したことも気に入らなかったみたいですが、大衆の一人である私ごときがクラシック音楽に興味を抱き、心酔することができたのは、まぎれもなくカラヤンのおかげだとも思っているんです。

 

f:id:yukoyuko1919:20200704081543j:plain

ビゼー:歌劇「カルメン」

ビゼー:歌劇「カルメン」

 

アンドレ・リュウ!

 こんなコンサート、素敵ですね。観衆のみんなが笑顔と感動の涙に包まれている。指揮者でヴァイオリニストのアンドレリュウは、「音楽は楽しむもの」という信念のもと、人々にクラシック音楽を楽しく気軽に接してもらえるよう、ユニークでハートフルな演奏スタイルをとっています。youtubeで動画がアップされていますので、ぜひご覧になってください。

 

youtu.be

youtu.be

youtu.be

youtu.be

youtu.be

youtu.be

モーツァルトの『魔笛』

 モーツァルトが生涯最後に完成させたオペラ『魔笛』。舞台は年代不詳のエジプトです。超絶技巧の高音のソプラノで歌う、「夜の女王」の2つのアリアが特に有名ですね。あのコロラトゥーラの発声をちょっと真似してみましたが、とてもあんな人間技とは思えない歌い方はできないです。喉がピッコロになったみたい。それから高貴なタミーノ王子、おどけた鳥刺しパパゲーノ、おきゃんなパミーナらが紡ぎだす音楽は、実に変化に富み楽しくあります。

 ところが、『魔笛』のストーリーには大きな矛盾点が指摘されています。はじめは明らかに「善玉」として登場したはずの「夜の女王」が途中から「悪役」になってしまい、「悪役」だったはずのザラストロが「善玉」に変わるのです。どうにも辻褄が合わない。これもモーツァルトがあえて意図したという説もあるようですが、意味がよく分かりません。

 とまれ、所詮はゆる~いクラシック・ファンである私にとっては、そういうところはどうでもよく、細かな筋書きなんぞ気にせず、ひたすら音楽の美しさに浸るのみであります。オペラは大好きでいろいろ聴いているものの、恥ずかしながらセリフの一つひとつを理解しようともしていません(めんどくさいし)。何じゃお前は?と馬鹿にされそうですが、やっぱりですねー、人間の声は最高の楽器だと思っていますからね。その美しさに聴き入るだけで必要かつ十分なんです。

 秘密結社フリーメイソンの会員だったというモーツァルトは、この作品にフリーメイソンのさまざまなシンボルや教義に基づく歌詞を取り入れているといいます。とりわけ各所に「3」を象徴的に使っていて、序曲の冒頭や中間部でが3回鳴らされる和音は、フリーメイソンの儀式で使われるものだそうです。確かに特徴的ですよね。

 ところで、『魔笛』に限らずオペラの冒頭に演奏される「序曲」ですが、元々は観客が会場に入ってくる間に演奏される、あるいはざわついている観客を注目させるための前座的な曲だったそうですね。それが今あるような形になって、独立して演奏されるようにもなった。また、現代の映画やテレビドラマの冒頭に流される主題歌、主題曲は、オペラの序曲の名残だといいます。

 

f:id:yukoyuko1919:20200502100651j:plain

ヘッドホンの残念

 古いオーディオ・ファンとして(古いだけですけど)、とても残念で残念でならないのが、とくに若い人たちの間で主流になっている、携帯型音楽プレーヤーヘッドホン(またはイヤホン)による音楽鑑賞スタイルです。中には、スピーカーで一度も聴いたことない人もいるとか。あまつさえ、レコード会社も、J-POPを中心に、ヘッドホン向けのディスク作り、すなわちヘッドホンで聴いたときにいちばん良い音に聴こえるディスクを作っているといいますから、もうがっかり至極なんです。

 音質の面だけを捉えると、日進月歩の技術革新によって、携帯型音楽プレーヤーでは信号圧縮技術などが格段に向上、ヘッドホンもますます高性能化して、中にはスピーカーと遜色ないものもあるやに聞きます。しかも、それらが割と安価で実現できているのはとても素晴らしいことだと思います。しかしながら、いくら携帯型音楽プレーヤーやヘッドホンの性能がアップしても、絶対にスピーカーを超えられない、違う言い方をすれば、スピーカーでないと得られない感覚や感動があると思っています。

 どういうことかというと、ヘッドホンでは、臨場感を出そうとしていくら音量をあげても、耳の中、頭の中でガンガン鳴り響くばかりで、決して体には伝わってきませんでしょ。実際にコンサートに行って生音の迫力に接したときのことを思い出してみてください。その違いは、単に音質だけの問題ではありませんよね。生音は、耳だけでなく体でも聴いている。素晴らしい音楽を文字通り「体感」し、体じゅうが生音によってじんじん打ち震えているわけです。

 私ら古来のオーディオ・ファンが自室のオーディオ装置で音楽を再生するのは、言ってみれば、そうした生音を疑似的に体験しようとしていることに他なりません。もちろん全く同じ条件や環境になるのは無理ですが、できるだけ生音に近い「空間」を作り出し、そこに全身でどっぷり浸る。ヘッドホンでは、たとえ100万円の高価なものでも絶対にできないこと。

 とはいうものの、「いやいや、そんなの端から分かっている、生音とはしょせん別物だと思って聴いている」とか「これだって、れっきとした音楽鑑賞」「音質さえ良ければそれでいい」とか言われたらそれまでなんですけどね。それに、いつでもどこでも他人に気兼ねなく聴けるのは何より便利で楽しい。でも、いつもヘッドホンが主役なのは、何か悲しい。どこか寂しい。

 

f:id:yukoyuko1919:20200520151952j:plain

フラッシュモブ!

 雑踏や公共の場で何の前触れもなく演奏が始まるフラッシュモブflash mob)。なかなか粋で素敵でかっこいいですね。そして、周りの人たちがみんな笑顔になる。あー実に音楽って、いいもんですね。Youtubeでお気に入りの動画をご紹介しますので、ぜひご覧になってくださいな。

 

youtu.be

youtu.be

youtu.be

youtu.be

ルロイ・アンダーソンの『タイプライター』

 アメリカの作曲家、ルロイ・アンダーソン(1908~1975)。軽快かつ諧謔性に富んだ曲調で知られ、なかでも有名なのが、事務用機器のタイプライターを独奏楽器に用いた『タイプライター』でありますね。昔、何かのラジオ番組でこの曲がテーマ曲に使われていまして、毎日のように耳にしていたのを覚えています。

 もっとも今の若い人たちは、タイプライターなんて機械は、見たことも触ったこともないのでしょうね。恥ずかしながら不肖私の年代が社会人になったころは、オフィスに必須のアイテムとして必ずタイプライターが備えられていました。また、後に家庭用にも購入して楽しんだもんです。何たって、紙にパチパチと文字を刻んでいく打鍵音の心地よさといったらなかった。そして、タイプが右端に行き着くと「チーン」となるベルの音、新しい行の先頭に移動させるときの「ガチャン」という機械音。

 今となっては実にアンティークで懐かしいばかりですが、当時はまぎれもない先進の機器です。その作動音がすべて楽器の音として活躍しているわけで、まさにタイプライター協奏曲。こういうのは「冗談音楽」ともいわれるようですが、どうしてどうして、初めてこの曲を聴いたときは、科学技術と音楽の融合?という斬新さに深い感動を覚えたのであります。まーでも、コンサートでは、カバンを持ったサラリーマンやOL風の演奏者が出てきて仕事をする仕草などしたりして、とてもコミカルです。たまにはこういう音楽もいいもんですね。

 

f:id:yukoyuko1919:20200625034057j:plain

youtu.be 

音楽に関する名言~その2

  • 音楽が必要なとき、それはすぐそばにあるし、その目的を叶えてくれる。~ヨハン・ヨハンソン
  • 私は音楽を、愛という以外の形では理解できない。ワーグナー
  • 音楽はそれ自体が癒しであると思う。それは人間性の爆発的な表現で、私たち全員が感動するものだ。どんな文化の出身であろうと、みんな音楽が大好きなんだ。~ビリー・ジョエル
  • もし音楽が場所ならば、ジャズは都市で、フォークは荒野、ロックは道で、クラシックは神殿である。~ベラ・ナザリアン
  • 音楽が何のために存在するかさえご存知ないらしい。勉強や日々の仕事が終わった後、疲れた人の心を慰め元気づけるために音楽はあるのではないか?シェイクスピア
  • 音楽とは、人類は私たちが思っているよりも偉大であるということを私たちに教えてくれるものだ。~ナポレオン・ボナパルト
  • 音楽を聴くということは、単に耳で聴くという以上の、それとは違った何かである。~エルンスト・クルト
  • 目にみえない調和(ハルモニエ)は目にみえる調和よりすぐれている。ヘラクレイトス
  • 牧場の奏でる調べや、森をたたえる交響曲に耳を傾けるひまもなくなるほどあくせく働いたり、せかせかしたって始まらない。この世には富よりはるかに重要なものがある。楽しみを味わうささやかな心がけもその一つだ。カーネギー
  • 音楽は人格を形成する力を持っているので、若者の教育に取り入れられるべきである。アリストテレス
  • 音楽は一生涯にとっては十分だが、一生涯は音楽にとっては十分ではない。ラフマニノフ
  • いい作曲家は盗む。悪い作曲家は真似する。ストラヴィンスキー
  • 音楽はハイになる安全な方法だ。~ジミ・ヘンドリックス
  • 現代作曲家が色も味もとりどりのカクテルを調合しているとき、私は澄んだ冷たい水をお客に差し出す。シベリウス
  • 風は見えなくても風車は回っている。 音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける。~バッハ
  • 同じ曲を千回弾いても色々な発見がある。毎回同じように弾くのは本当の音楽家ではない。~ライナー・キュッヒル
  • テンポがくずれ、音のバランスが狂うと、甘い音楽も不快なもの。人の暮らしも同じなんだ。シェイクスピア
  • 音楽!自然の神々しき模倣よ!おまえと過ごした幸福な時に、私はどれほど感謝すればよいのだろう。~アントニオ・サリエリ
  • いいや、ぼくのではないんだ。本当の音楽を演奏してくれ、モーツァルトの曲を!ショパン
  • 死ぬということは、モーツァルトを聴けなくなることだ。アインシュタイン
  • 人生はジャズのようなもの。アドリブを利かせたほうがうまくいく。ガーシュウィン
  • もう一度人生を生きられるのなら、私は少なくとも週に一度は詩を読み、音楽を聴く習慣を設けるだろう。ダーウィン
  • 音楽をジャンル分けすることは好きではありません。ジャンル分けは差別主義みたいなものです。~マイケル・ジャクソン
  • いくつもの音楽を同時にきくことができないように、美というものは、なんらかの中心となる要素に集中して初めて本当に理解することができるのだ。岡倉天心
  • 音楽の美は、その一瞬の短さにおいて生命に似ている。三島由紀夫
  • 音楽は、天使たちの語らいである。~トーマス・カーライル
  • 漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。~手塚治虫

 

f:id:yukoyuko1919:20200523053401j:plain