クラシック音楽とオーディオが大好きなblog

美しい音楽、美しい花、そして美しい女性が大好きな、なにわのオヤジのblogです。恐縮です。

ハードに拘るおじさん

 オーディオ機器の販売業者さんのお話によると、新しく購入したことが家族にバレないように気を使っている人がけっこういらっしゃる、とのこと。たとえば、配送先を運送会社の営業所止めに指定してくるとか、店頭で直接購入するときに使い古した紙袋に入れてほしいと頼まれる、とか。

 家ではもう奥さんに呆れられていて「また新しいものを買ってきたの、いい加減にしなさい!」みたいな状況になっているのだろう、って。あは~、図星。不肖私、そこまで策を弄してはいないものの、宅配便が届くたびに「何買ったの!」と厳しいチェックを受けております。

 同様の御仁は少なからずいらっしゃることと思います。でも、つくづく不思議なのが、オーディオにしろ車にしろ、おじさんはなぜにこうまで機械(ハード)にこだわるのか。一方、女性はまったくといっていいほど機械やスペックなどに興味を示さない。なんでそんなに鷹揚というか無頓着でいられるのか不思議です。この決定的な溝はいったいどうやって埋めたらいいのか。それとも、そもそも埋まらないのか。

 

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モーツァルトの曲から1曲選ぶなら

 一人の作曲家の作品の中から好きな曲を1曲だけ選ぶ、とりわけ天才モーツァルトの作品からとなると、大いに悩むのではないでしょうか。私なんぞ、どれもこれも大好きで、とても1曲だけを選ぶことはできません。

 音楽ジャーナリストの林田直樹さんは、強いて挙げるならとしながら、『フィガロの結婚』を選ぶとおっしゃっています。ちょっと意外な感じがしますが、氏によれば、

 ーーフランス革命の火つけ役になったといわれるボーマルシェの原作芝居をオペラ化したこの作品は、反貴族的な長ゼリフをカットしているものの、根底には十分に革命の精神を宿している。それはすなわち、愛する主体としての人間でありたいという自己表明のようなものだ。それをモーツァルトは全精力を傾けて伝えようとしたのだと思う。――

 うーん、まことに読みが深いなー。

 

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モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」全曲

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」全曲

 

カーテンで吸音

 リスニング・ルームの環境づくりでいちばん気を使うのが「吸音」対策です。「拡散」よりも「吸音」のほうが難しいと感じます。本当は音は外に逃げていくのが環境としては好ましいわけですが、ご近所に迷惑をかけるわけにはいきませんからね。防音対策は絶対に必要だし、その次には室内に充満した音が暴れまくることのないよう、また逃げ場のなくなった音がこもらないよう、きっちり吸音する必要があります。

 そんでもって、その吸音対策のコツ、注意点ですが、スピーカー付近をコンサート会場のステージ、視聴席あたりを客席とイメージする。ステージ側で吸音してしまうと、聴くより先に音が変化してしまう。耳に届くまでに部屋の影響を受けないよう心掛ける。すなわち、ステージ側では過度の吸音や拡散は行わず、音を変化させないようにする。部屋の吸音処理は、客席側で行う方が自然な音響となる。例えば、客席は吸音するカーペット系、ステージは響く板張りといった構造がよい、といった感じです。

 吸音材としてさまざまな商品も売られていますが、インテリア、調度品として用いるカーテンの素材もとても重要だと思います。そこで不肖私が選んだのが、ご覧の遮光・遮音用の厚手のカーテンです。視聴席の背後が広い掃き出し口になっているので、全面をこれで覆っています。色は(写真だとちょっと色が薄いんですが)ムードを高める?濃くて暗い赤色です。このカーテンの吸音・遮音効果はとても高く、すべてを閉め切ると部屋が森閑とします。

 ただし、室内は真っ暗になりますから、昼間でも照明をつけなくてはなりません。電気代がもったいないのですが、照明の形や具合(明るさ、色合いなど)をうまくアレンジすれば、何だかホールやシアターにいるような気分が味わえて良いかなと思っています。この場合、照明もれっきとしたオーディオ・アクセサリーになり得ますからね。

 

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音楽に最も大切な要素

 音楽を演奏するに際し最も大切な要素は何か?という問いかけに対し、天才モーツァルトは何と答えたか。それは「テンポ」だそうです。素人には「へーっ」と思うような答えですが、テンポ、そして間の取り方、なるほど確かに、これらの違いで曲の印象はガラリと変わってしまいますからね。

 「間」というのは、クラシック音楽ファンにとって意味深いというか、とっても楽しめる部分でもあります。たとえば、ブルックナー交響曲に時おり訪れる全楽器の休止(ゲネラルパウゼ)。この独特の「間」が醸し出す余韻の美しさといったらない。音が無いにもかかわらず音を感じるといいますか、この無音の音にじっと耳を澄ます心地よさ、病みつきになりますねー。

 

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マーラーはお好き?

 マーラーの音楽はお好きですか? 憚りながら不肖私もマーラーが大好きでして、ふだんいちばん聴く回数が多いのはマーラー交響曲かなという気がします。そのマーラーの音楽の魅力はどこにあるのか。ヴィオラ奏者の中山良夫さんによると、
 
―― 意外に大事なのは、「マーラー=巨大な編成=大音響の炸裂」というイメージを忘れることかもしれない。とりわけ巨大なイメージの強い《復活》とか《千人》でも意外に室内楽的な部分が多く、マーラーの本領はむしろそういう所にある。たとえば《復活》の終楽章にしても、初めの大音響が静まった後はごく少ない楽器だけで演奏される。いわゆる「薄い」オーケストレーションの部分が続く。木管トロンボーン、トランペットなどのコラールをヴィオラだけ、あるいは第1ヴァイオリンだけがピッツィカートで伴奏する、というように。音楽の形としてはとてもシンプルなのだが、こうした場所で要求されるのはまさに室内楽的な神経なのだ。――
 
 そう言われたら確かにそうですね。第4番にいたっては、フォルティッシモの部分は1カ所もないくらい(マーラーがそう言ってた)。でも、そうした「薄い」部分がこれまた実に魅力的。じっと耳を傾けていると、何だか自分の神経がスゥーッと研ぎ澄まされていくような感覚になり、それがとても心地よいです。そして時おり訪れる大音響のぶちかましでエクスタシー! さらに魅力的なのが、交響曲でありながら随所に垣間見えるマーラーの「歌心」。まさに「人を恋る歌」ですよ。

 

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チャイコフスキーの二面性?

 大学教授でクラシック音楽評論家でもある樋口裕一さんが、チャイコフスキーの二面性について語っています。誰にも二面性はあるものだけど、チャイコフスキーの場合は納得できないレベルだって。たとえば、交響曲第6番『悲愴』の第1楽章、静かに鳴ってやがて音が途絶える。誰しもここで音楽が終わると思う。ところがその後、大音響が鳴り響く。聴く者は、心臓が止まるような驚きを覚えるだろう、って。

 確かに、名盤とされるカラヤン指揮、ウィーンフィルのCDを聴いていますと、来るぞ、来るぞと待ち構えていても、毎度、破壊的な大音響に打ちのめされます。初めて聴いたときなんぞ、もうショック死しそうになりましたから。それまでの音が割りと小さいため音量を上げていたので余計です。この作曲家は、いったい何という曲を作るのか、とゲンナリもしたもんです。

 樋口さんによれば、悪く言うと、これまでおとなしかった人間が突然キレてヒステリックになるようなもんだと。それが日常生活で行われると困るけど、こと芸術作品の中で起こると、そこに魂の躍動が起こり、カタルシスが起こる。それがチャイコフスキーの音楽の魅力でもある、って。うーん、なるほどではありますが、いくら「芸術は爆発だ!」とか言われても、あれはちょっと度を超えていると思うなー。極めて心臓によくない。

 

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ラックはどこに置く?

 オーディオ・ファン諸兄は、オーディオ機器のセッティングでは、ラックをどの位置に置いておられるでしょうか。おそらく中央にラック、両側にスピーカーというのが普通なんだと思います。不肖私もずっとそのようにしていましたが、家のリフォームで専用の部屋を作ったのを機に、ラックをサイドに移し、両スピーカーの間に広い空間をとりました。背後に窓があるもんですから、それを塞ぐのを憚ったためです。

 この結果は意外に功を奏しました。両スピーカーからの音が何の障害もなく中央で合成される感じで、開放的で立体感かつ一体感のある「音場」が眼前に現出します。あらためてネットで調べると、やはりこのように配置すべしとの意見があるようです。

 ただ、これだとかなり長いスピーカーケーブルが必要になって不経済だし、部屋の幅が狭いなどの事情によっては難しいかもしれません。でも断然こちらの方がいいですから、もし可能なら試されてはいかがでしょうか。見た感じもスッキリして決して悪くないと思います。

 

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