クラシック音楽とオーディオが大好きなblog

とてもゆる~いファンです。悪しからず・・・

優しいエイリアン

 はやぶさ2が間もなく地球に帰ってきますね。とても楽しみです。正確には小惑星リュウグウでの採取物が入ったカプセルだけを地球に放り投げ、はやぶさ2本体はそのまま別の小惑星探索の旅に出るのだとか。まだまだ働き続けるなんて、ずいぶんご苦労様ではありませんか。

 ところで、ご覧の写真↓↓↓は、1997年に打ち上げられ、7年かかって土星に到着した探査機カッシーニが撮影した、土星から見た地球の写真です。大きな輪の下に見える白い小さな点が地球ですって。当たり前ですが、宇宙の中では私たちの地球もほんの点にしか見えない小さな星なんですね。何だか感慨深いです。

 カッシーニは、土星に到達すると土星人工衛星になって206回も周回し、10年間にわたって数々の発見や観測結果をもたらしてくれました。撮影した写真は実に33万2,000枚に及んだそうです。しかし、最後は土星の大気圏に突入し、10年前の「はやぶさ」と同じように燃え尽きて消えたんですね。

 この措置は、そのまま飛行させておくと、土星の衛星のタイタンエンゲラドゥスに衝突する恐れがあったため、カッシーニ本体に付着している地球の微生物が、生命が存在しているかもしれない両星の環境に影響を及ぼしてはならないという配慮からだったそうです。土星からみれば地球人はエイリアンに他ならないわけですが、ずいぶん優しいエイリアンですよね。

 

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モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第6番

 故・宇野功芳先生が著書の中でおっしゃっていたのが、「僕はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の中で、《第6番》がいちばん好きだ」って。《第3番》や《第5番》のような無邪気な明るさには欠けるが、もっと深い香りや翳りがあるからだそうです。しかし、ちょっと待ってください。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲って《第5番》までじゃなかったでしたっけ? というので調べましたらこういうことです。

 《第6番》は1799年にアンドレによって出版されたものの、作曲技法や様式が異質であるため偽作ではないかと疑われたそうです。しかし、結局は未完成だった楽譜に他人が加筆して完成させたものだとして、K・268というケッヘル番号も付されました。一時期はこの《第6番》がもっとも人気を得て、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の代表作となっていたといいます。しかし今ではほぼ偽作だと決定づけられ、フリードリヒ・ヨハン・エック(1767~1838年)作曲によると推定されている、って。

 そんなわけで、今では演奏機会も録音もほとんどない気の毒な作品になってしまったわけですが、それでも宇野先生は「曲が美しければ作曲者は誰でもよいではないか」と。僭越ながら不肖私も全く同感であります。ただし、ヴァイオリン協奏曲《第6番》という曲の呼び名だけはまるっきり変えてほしく思います。そもそも本来の作曲家に失礼だし、このまま聴いていたら、どうしても脳裏にモーツァルトの影、あるいは「想い」というものが不必要にかぶさってくるじゃありませんか。

 この作品を何の先入観もなく虚心坦懐に聴けば、確かに陰影のあるとても美しい曲だと感じます。これが真のモーツァルトの作品だといわれれば、特段の疑いもなくそう感じますし、偽作だといわれればそうかなとも思います。要は私ごときには分からないです。でも中途半端な思いで聴くのは決して気持ちがいいものではありません。

 さらには、この《第6番》に加え、《第7番》もあって、モーツァルトの死後の19世紀に写譜が見つかり、「アブネック氏所有の作曲者自筆総譜に従い、ウジェーヌ・ソゼーが写譜」との記載もあるんだとか。しかしこれも、過去のモーツァルトの作品に似た部分がある一方、独奏ヴァイオリンの奏法に19世紀の名人芸的パッセージが多く含まれ、音楽構成上も彼の時代のものとは言い難いとして、偽作と認定された作品です。ややこしい話ですが、でも偽作とされている作品が何だか可哀そうに思えてきます。

 

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人体の不思議~その6

 下の写真は人間の皮膚の断面の拡大模型です。なかなか複雑な構造ですね。いちばん上が表皮。表皮の厚さは0.1~0.3mmで、外側から「角質層」「顆粒層」「有棘層(ゆうきょくそう)」「基底層」の4つの層で構成されています。基底層で作られた表皮細胞が細胞分裂を繰り返し、古くなるにつれ、上へ上へ押し上げられて角質層にたどり着きます。そして角質細胞となり、最後にはアカとなってはがれ落ちていくんです。

 この新陳代謝の周期は、ふつう細胞分裂から角質細胞になるまでに約14日、角質層からはがれ落ちるまでに約14日の合計28日間だそうです。ただ悲しいことに、加齢とともにこの周期は遅くなっていく。そして、角質層の細胞はすでに死んでいるんですってね。だから、表皮にいくら栄養を与えても意味がない。それより下の、とくに血管があるところを活性化しなくては美しいお肌は保てない、ということのようです。

 

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 しかし、それより驚いたのが”毛”です。体中に生えている毛の1本1本に、それぞれ筋肉が1本ずつくっついているんです。写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、毛の根元付近から右上に伸びているピンク色(両端が白色)のが、筋肉です。これが毛1本につき1本、必ず標準装備されているんです。

 そんで、この筋肉がどういう役割をするかというと、寒くなったときに、毛を逆立たせて、毛先と皮膚の間に保温する空気の層を作り出すのです。大昔、人間が毛むくじゃらで、裸で暮らしていたころの名残なんですね。だから、おサルさんなんか、今もこうやって寒さをしのいでいる。

 たかが1本の毛にも、こんな機能が備わっているなんて、実にすばらしいです。もっとも今は服を着られますし、まばらにしか生えていませんから、私たち人間にとってはあまり関係ないですかね。

 

医学部受験、究極?の選択問題

 本屋で「医学部の面接試験」対策の参考書を立ち読みしていましたら、その中に、医師としての”究極の選択”を問われるような設問がありました。

 

「あるとき、瀕死の重症患者が二人同時に運ばれてきた。ところが、患者の一人は自分の妹、もう一人は赤の他人だった。直ちに手術をしなければ二人とも助からない。しかし、医師はあなた一人しかいない。さてあなたはどちらの患者を先に手術するか?」

 
というものです。ホントにこんな問題が出るんでしょうか。

 このような場合、どちらを優先させても非難は免れないでしょう。妹を助ければ、もう一人の患者の家族から猛烈な非難を浴びるだろうし、赤の他人を優先すれば身内から激しく罵られる。これは難題です。だから、書かれている正解もどうもはっきりしません。

 結局、直ちに答えを出すのではなく、「まずは頭を抱えて悩む」というのが正しいようです。そんな正解あり?と思いますが、建前としてはそうしたものかもしれませんね。しかし、これが現実だとしたら、あれこれ悩んでいる暇などないでしょう。そうなれば、咄嗟に自分の肉親を助けようとするのが、一人の人間として素直で正直な態度だと思うのですが如何でしょうか。

 だから、「まずは悩む」のが正解というものの、「妹を助ける」と即答した受験生が減点されるとしたら、ちょっと合点がいきません。その態度がおかしいとは決して言えないと思うんです。むしろ悩むとしたら、そこには何がしかの「打算」が見え隠れしないでもない。というか、人間としての素直さを失った医師がいたとしたら、かえって空恐ろしい感じがします。

 医師になるための適性が厳しく吟味されなければならないのは分かります。しかし、これはメチャクチャ意地悪な問題です。というか、医学部の受験に際し、適正な「判断」に関わる問題というより、そうした人間の心の奥底のありようまでがマニュアル化?されかねないことに違和感を覚えてしまいます。ちなみに私の息子2人に同じ質問をしたら、「絶対に妹を助ける!」と即答でした。

 

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『ラデツキー行進曲』とニューイヤー・コンサート

 『ラデツキー行進曲』といえば、まず思い浮かぶのが、子供のころに見ていたテレビのプロ野球中継のテーマ曲がこの曲だったことと、何といってもウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの最後のアンコール曲として演奏される曲だってことです。指揮者が観客席を向いて全員の拍手を促すのもお決まりで、まことに賑やかで盛り上がる場面です。

 ヨハン・シュトラウス1世作曲よる『ラデツキー行進曲』は、1848年に、当時はオーストリア帝国領だった北イタリアで勃発した独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍を称えて祝宴で演奏された曲です。大変な好評を得て、やがて愛国の象徴として扱われるようになり、帝政が廃された後も今にいたるまで、オーストリアの国家的な行事や式典でたびたび演奏されるそうです。

 ところで毎年1月1日にウィーン楽友協会の大ホールで催されるニューイヤー・コンサート。実際に行ったことはありませんが、100近い世界各国に生放送で中継され、私たちも元日のゴールデン・タイムに楽しむことができます(家族とのチャンネル争いは起きますが)。演奏される音楽はもちろん、会場に飾られた多くの美しい花々、そして、華々しく着飾った観客たちの光景がとても素敵で、休憩をはさんだ2時間余りの間、何とも言えないリッチで心地よい気分に浸れます。

 毎年変わる指揮者は、楽団員による投票で決められるそうですが、不肖私が強く印象に残っているのが、2008年に選ばれたフランスの指揮者ジョルジュ・プレートルです。すでに故人となりましたが、出演した当時は83歳。最初その姿を目にしたときは、こんな爺さんで大丈夫?と不安に思いましたが、いざ演奏が始まると、何とアグレッシブ! これにて一躍脚光を浴び、2010年に2回目の出演を果たしたのです。1回目のときのCDも買いましたよ。実にカッコよかった。あんな爺さんになりたいです。

 なお、下の写真は2012年にマリス・ヤンソンスが登場したときの画像です。テレビの画面をそのままカメラで撮影したんです。

 

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『友だちの数で寿命は決まる』

 『友だちの数で寿命は決まる』という本があります。このような刺激的な題名の本はちょっと気をつけて読まなきゃいけないと思うところですが、内容はビッグデータ等による客観的な分析に基づいているようです。それによると、寿命に最も影響を与えているのは、喫煙や飲酒、運動や肥満よりも、人との「つながり」だと判明したそうです。つまり「孤独」は喫煙よりも健康に悪いって。

 またこんなデータもあります。急性心筋梗塞で入院した人を対象に、お見舞いに来てくれる人の数と、6か月以内の死亡率を調べた結果、誰もお見舞いに来てくれない患者の70%が亡くなったのに対し、2人以上お見舞いに来てくれた人の死亡率は26%にとどまったそうです。これは医者の間ではよく知られている事実で、お見舞いに来てくれる人がいない患者は予後が悪いケースが多いといいます。

 介護に関する話もあります。男性の場合、息子の嫁に介護されると死亡率が低くなるのに対し、自分の嫁に介護されると寿命が短くなるというんです。これは実に恐ろしい事実ではありませんか。反対に女性の場合は夫に介護されるのが一番長生きで、息子の嫁に介護されると寿命が短くなる、って。詳しい理由はよくわかっていないそうですが、気持ち的にはなるほどという気がしないではありません。

 考えてみれば、男性の場合は、女性に比べて他人との「つながり」を作るのが下手ですからね。歳を取れば取るほどその傾向が強くなる。私自身も大いに思い当たるところがあります。もっと「つながり」を広げなくてはいけない、でも面倒くさい。そのあたりが男性の寿命の短さにつながっているのでしょうかね。まー少なくとも周りに嫌われるガンコ爺にだけはならないようにしよう!

 

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友だちの数で寿命はきまる 人との「つながり」が最高の健康法

友だちの数で寿命はきまる 人との「つながり」が最高の健康法

 

スピーカーの置き方

 スピーカーの設置方法には、左右のスピーカーを平行に置く方法と、内側に向けて置く方法とがありますね。ほかにも、これは学生時代に友人がやっていた方法ですが、外側に向けて置いているのを見たことがあります。ずいぶん珍しく思ったものです。皆さまはどんな置き方をなさっているでしょうか。それぞれにメリットの違いがあり、たとえば平行だと音の広がりが大きくなるとか、内側に向けると定位が正確になり壁の影響を受けにくくなる、とか。

 不肖私の場合は、内側に向けて置いています。スピーカーの取扱説明書に「リスニングポジションに対して少し内側に向け設置することにより、効果的なステレオ再生ができます」と書かれてあるので、それに素直に従っただけです。ほかにも「変形タイプの部屋や、部屋に障害物がある場合、必要に応じてスピーカーの位置や角度を変えたり、左右のスピーカーを逆の位置に設置したりすることで効果的なステレオ再生をお楽しみいただけます」とあります。左右を逆にするなんて、どんなケースなんでしょうかね。

 ところで、内側に向けて置く方法は、平行に置く場合に比べて難しいというか、角度の調整にけっこう苦労します。左右の角度をうまく調整しないと、きっちりした音像の定位が得られないからです。音像が左寄りだと感じたら、反対側の右のスピーカーを内振りにするといった調整が必要になります。このへんの作業はけっこう繊細でして、ほんの数ミリ動かしただけで大きく変化しますからいい加減にはできません。ただ音楽ソースがオーケストラだと分かりにくいため、私の場合はボーカルで揃えました。

 それでも、ただ漫然と聴いているのでは分かりにくいですから、両スピーカーの間の中心に、縦の線による目印を立てます。その縦の線を凝視しながら聴いていると、声の出どころが「2センチくらい左に寄っているな」とか目に見えて分かってきます。それをもとにスピーカーの位置を微調整して音の焦点を合わせます。視覚と聴覚による共同作業というわけです。

 しかし、ハイレベルな方はそんな目分量?ではなく「レーザー墨出し器」なる武器を用いて、それこそ1ミリ精度で超正確に測って設置していますね。その重要性や必要性を強く説いておられるものだから、実は私も同じような機器を買って試したことがあります。しかし、今一つ使いこなす技術力が伴わず、途中であきらめた次第です。まだまだ修行が足らないようです。

 

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