クラシック音楽とオーディオが大好きなblog

とてもゆる~いファンです。悪しからず・・・

ブルックナーの交響曲第9番

 ブルックナーの音楽といえば、人間臭さとか心の葛藤とかが微塵も感じられない、まさに大宇宙そのものの音楽。そのなかで「第九」は、ブルックナーが最後に書いた交響曲であり、未完に終わったとはいえ、宇宙の深奥に突き進んでいくような最も深い内容の音楽といってよいのではありますまいか。あまりにも深いもんだから、かの故・宇野功芳先生は、この曲を聴く前には覚悟が必要だとおっしゃっていたほどです。あの崇高な世界へ連れ去れるのが怖い、って。

 不肖私は残念ながらそこまでの鋭敏な感覚を持ち合わせないので、宇野先生ほどの覚悟も恐怖も感じませんが、それでもこの曲を聴くときには、何がしかの心の準備をもって臨んでいるような気がします。いつでもどこでも、また、お気軽にのんびりと聴ける音楽ではないです。まーでも、そんな小難しいこと言うから、ブルックナーがますます女性のクラシック音楽ファンに敬遠されるのかもしれませんね。反省。

 そして、ブルックナー交響曲に共通する大きな魅力の一つである「秘めた?優しさ」の吐露、そう、「第九」の威厳のある長大な第1楽章の中にも、ふっと、優しく美しく慈愛に満ちたメロディが登場します。たとえて言えば、漆黒の宇宙空間に突如見えてくるほのかな宇宙船の明かりのように(たとえが変?)。そのコントラストが何ともいえない柔らかな気分にさせてくれます。個人的には、これぞブルックナーの真骨頂!とさえ思っています。

 愛聴盤は、アーノンクール指揮、ウィーン・フィルによる2003年の録音です。CDは2枚組みになっていまして、うち1枚目に、未完の第4楽章をめぐるアーノンクールトークと断片の演奏が収録されています。録音もよいのでオススメです。

 

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ブルックナー:交響曲第9番

ブルックナー:交響曲第9番

 

イケメン作曲家のトップは?

 皆さまは、歴代の作曲家たちのなかで、誰がいちばんイケメンだと思われるでしょうか。ここではあくまで青年期を基準としたく思いますが、いずれにせよ多くは残された肖像画や写真からの判断ですからね、けっこう意見が分かれるところだと思います。候補としてあげられるのが、ショパンリストシューマンあたりでしょうか。モーツァルトベートーヴェンはちょっと違いますかね。

 不肖私としては、意外に思われるかもしれませんが、断トツでブラームスを第1位のイケメンに推したく思います。ブラームスといえば、顔じゅう髭だらけの老人時代の写真ばかりが有名ですが、実は若いころのブラームスは絶世の美男だったそうです。音楽の神「アポロン」になぞらえて「アポロンの再来」とも呼ばれたとか。それが年取って、あんなふうになってしまうなんて、いったいそれまで何があったのでしょう(笑)。

 若きブラームスの更にすばらしいところが、それほどのイケメンでありながら、決して浮ついたところがなかったことです。地味を好み、勉強熱心で完璧主義。女性関係では、師匠のシューマンの妻クララに思いを寄せていたと疑われているものの、じっとガマンの子で生涯独身だったブラームス。自然を愛し、しばしばウィーン周辺の森を散策し、その際キャンディーを持参して子供たちに与えていたそうです。それでいて大人には無愛想で、自分の意思を率直に伝えるのが苦手だったといいます。

 そうしたブラームスの”人となり”を念頭に彼の音楽を聴くと、また格別の思いに浸れます。溢れそうになる熱い想いをあえて押し殺しているかのようなストイックさ、そして実直さ。ともかく、外面・内面ともにイケメンだったのですよ。

 

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モーツァルトの言葉

  • 高尚な知性や想像力、あるいはその両方があっても天才は形成できない。
    愛、愛、愛。それこそが天才の神髄である。
  • 私は貴族ではないが、貴族にもまさる高貴な心をもっている。人間を高めるのは、身分ではなく、心だ。
  • 他人の賞賛や非難など一切気にしない。自分自身の感性に従うのみだ。
  • 音楽は決して耳ざわりであってはならない。むしろ耳を満足させ楽しみを与える、つまり常に「音楽」でなくてはならない。
  • 音楽は自らの人生であり、人生は音楽である。このことを理解できない人は、神に値しない。
  • 新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす。
  • 音楽においてもっとも不可欠でもっとも難しく大事なのは、テンポだ。
  • 夢を見るから、人生は輝く。
  • 多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ。
  • 結婚したらいろいろ分かってきますよ。今までは半分謎だったことが。
  • 私の見解では、未婚の男は人生を半分しか楽しんでいない。
  • よく喋り、能弁であることは、偉大な技術であるが、喋るのを止める適切な時を知ることも、同様に偉大な技術である。
  • わずかの違いを大切に。
  • 望みを持とう。でも望みは多すぎてはいけない。
  • 自分を安っぽく評価してはいけない、ここが重要なポイントだ。もっとも生意気な人間は、誰にもチャンスがある。
  • 私は詩人ではないので、詩的に書くことはできません。 私は光と影を投じる芸術的なフレーズを作れません。私は画家ではないからです。 私はパントマイムで私の考えや感情を表現することはできません。私はダンサーではないからです。 しかし、私はトーンで表現することができます。私は音楽家だからです。
  • 馬車で旅をしているとき、または美味しい食事のあとの散歩、または眠れない夜、そんな時はアイデアが豊富に湧き出てくるんだ。

 

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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲

 ベートーヴェンヴァイオリン協奏曲メンデルスゾーンブラームスの作品と並び「三大ヴァイオリン協奏曲」と称される名曲中の名曲なわけですが、初演時の評価は意外にも高くなかったそうですね。それどころか「前後がつながらず、支離滅裂」「平凡なパートの繰り返し」「無関係に重ねられた大量の楽想」などと新聞で酷評されたとか。時代に合わなかったのか、結局、ベートーヴェンが生きている間には人気は高まらずじまいだったそうです。不思議ですねー。

 ひょっとしてこれに気を悪くしたのか、ベートーヴェンが完成したヴァイオリン協奏曲はこの1曲だけなんですね(ヴァイオリンと管弦楽のための作品は、ほかに2曲の小作品と未完成の協奏曲が1曲あるのみ)。それとも、ピアノの名手だったにもかかわらず弦楽器の演奏はそれほど得意ではなかったといいますから、ヴァイオリン協奏曲の創作意欲はあまり湧かなかったのでしょうか。いずれにしてもこの1曲だけというのは、実に寂しく残念に思います。

 この名曲に対して私ごときがあれこれ論評するのは憚られますが、まー敢えて言わせていただくなら、「気品」という言葉に尽きるのではないでしょうか。もし私が死んであの世に持っていけるCDが1枚だけだとしたら、この曲は間違いなく第1候補になります。愛聴盤は、クレーメル+アーノンクールカール・スズケ+クルト・マズア、パトリシア・コパチンスカヤ+フィリップ・ヘレヴェッヘの3つです。とりわけクレーメル盤のピアニッシモの美しさといったらない。スズケ盤はゆったりした演奏で格調高く、コパチンスカヤ盤はカット弦の緊張感のある繊細な響きが魅力です。

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

 

マーラーの交響曲第1番

 もし、これからマーラー交響曲を聴き始めようという人から「どの曲から始めたらいい?」と尋ねられたら、やっぱり第1番と答えるでしょうかね。マーラー交響曲には、分かりにくいというか、ひねくれた?曲が少なくないなか、最も親しみやすいのは第1番だろうと思います。第4番も候補に挙がるかもしれませんが、あれは一見親しみやすそうで、実は少々ひねくれたところがありますから初心者には不向きと思います。

 第1番は、マーラーが若き24歳から28歳にかけて仕上げた作品で、最初は交響詩として発表、5年後に『巨人』という標題つきの交響曲に改作、さらに3年後に4楽章の純粋な交響曲に改作し、『巨人』の標題も削除したという経緯があります。『巨人』というのは、マーラーが青春時代に愛読したジャン・パウルの長編小説『巨人』から採った題名だそうです。これらの紆余曲折にはどんな心理の変遷があったのでしょう。「若きウェルテルの悩み」ならぬ「若きマーラーの悩み」の表れのようです。

 とまれ、この第1番は幻想的なドラマ性のある魅力あふれる作品で、また馴染みやすい音楽だと思います。マーラーの解説によれば、第1楽章で、雄大で美しい自然のなかで生まれ育った若者が、第2楽章で力みなぎり帆をいっぱいに張って人生の航海に踏み出すものの、第3楽章で座礁して死んでしまい、第4楽章で天国への道を歩む、というものです。夢と希望と不安と絶望が錯綜する、まさに若者らしい作品というべきではないでしょうか。

 不肖私がとくに楽しく聴いているのが、ウサギやカエル、カラス、シカ、キツネなどの森の獣たちが、死んだ狩人の棺に付き添い墓へと行進する風景を表現した第3楽章です。悲しく重苦しい葬送の音楽のはずなのに、しばしば陽気におどけた感じになって、実に愛らしいメロディが登場します。統制の取れていない、風変わりで滑稽な葬列が目に浮かぶようです。

 愛聴盤は、マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による2006年のライブ録音です。ヤンソンスが紡ぎ出す音形が実に美しく、とりわけ第3楽章での大きなテンポの変化が新鮮で魅力的です。

 

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CDの将来は明るい!?

 オーディオに造詣が深く工学系の科学者でもある岡野邦彦さんという方が書かれた『その常識は本当か これだけは知っておきたい 実用オーディオ学』。昨年1月に刊行され、オーディオファンの間でけっこう話題になっている本ですね。いろいろ書かれていて難しい内容もあるんですが、その中でちょっと驚いたのが、「CDの再生音はまだ改善される余地がある」というお話です。

 CDが登場したのは今から40年前の1980年です。この年にCDの規格が決定され、初めて市場に登場したのが1982年のことです。それまでレコードに慣れ親しんできた身としては、ずいぶんチンケになったと当惑したものです。LPレコードと一緒に入っていた歌詞やライナーノーツが書かれた大きな冊子(パンフレット?)にはいろんなカラー写真も載っていて、とてもワクワクしながら眺めていたもんです。それがCDになると、まるでメモ帳のようになってしまって・・・。

 それがあれよあれよと言う間にレコードを凌駕してしまったわけですが、そのCDも、近ごろ普及しつつあるハイレゾオーディオ(High Resolution Audio)の数値性能には明らかに劣後しています。「なんちゃってハイレゾ」のようなまがい物もあるようですが、録音のよい真のハイレゾは本当にすごいんだと思います。じゃあCDの将来に全く見込みはないかというと、そうでもないと筆者はおっしゃいます。CDの再生音の将来は意外と明るいというのです。

 どういうことかというと、CDに記録されたデータを復元し再生する演算はメチャクチャ複雑で、コンピュータの処理能力はCDの登場時に比べて格段に進歩しているにもかかわらず、現在の装置でもなお能力不足だというのです。CDの潜在能力をまだ完全には活かしきれていないって。だから今後も再生技術が進歩し、プレイヤーが新しく開発されるたびに再生音は良くなっていくだろう、って。うれしいですねー、CDをたくさん持っているからといって、決して悲観することはないんですね。

 

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その常識は本当か これだけは知っておきたい   実用オーディオ学

その常識は本当か これだけは知っておきたい 実用オーディオ学

 

ヴェルディのオペラ『椿姫』

 世界のオペラ劇場でもっとも人気が高く上演回数が多いとされる、イタリアの作曲家ヴェルディのオペラ『椿姫』。原題は『道を踏み外した女(La traviata)』だそうですが、日本版では原作の小説『椿姫(La Dame aux camélias)』がタイトルになっています。冒頭の『乾杯の歌』はオペラを知らない人でもご存知のはず。

 物語の舞台は19世紀半ばのパリの社交界。椿姫と呼ばれた一人の高級娼婦ヴィオレッタが、貴族の青年アルフレードと出会い、やがて真実の愛に目覚める。二人はパリの田舎で幸せに暮らし始めるが、アルフレードには厳格な父親がいて、一族の評判を傷つけないため息子と別れるよう彼女を説得する。何も言わずに彼のもとを去ったヴィオレッタに対して、事情を知らないアルフレードは裏切られたと誤解し、大勢の人前で彼女をなじり、旅に出てしまう。その後、ヴィオレッタは貧しい生活の中で結核に冒され、死の床にいる。そこに、アルフレードと父親が現れ、深い悔悟の念を示すも時すでに遅し。ヴィオレッタは、生き変わる喜びの夢を見つつ、アルフレードの腕の中で息絶える、というものです。

 まことにドラマチックな物語ですが、それまでのオペラは単に歌声の美しさを楽しむために鑑賞するものだったんですね。ヴェルディが物語を付加したことで、オペラの歴史を変えたともいわれています。私の愛聴盤は、カルロス・クライバー指揮、バイエルン国立管弦楽団による1976~77年の録音です。ヴィオレッタといえばマリア・カラスが有名で人気も高いのですが、本盤でのイレアナ・コトルバスのソプラノも実に優美です。そして何より録音が優秀で、音が立つというか飛び跳ねるよう。若きクライバーの凄みがぴしぴし伝わってきます。

 

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