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校長先生が語るフジコ・ヘミング

 兵庫県姫路市に、賢明女子学院というカトリック系の私立女子中学・高校があります。その学校の校長である松浦明生さんが、『光あれ 日々の所感』というブログを同校のホームページ内に開設しておられます。内容はもっぱら生徒さん向けですが、そのなかでとても感銘を受けた文章に接しましたので、ここに紹介させていただきます。2018年1月22日付の記事です。

 昨年聴きに行ったコンサートのなかで、一つとても印象深い演奏会があったので紹介します。イングリッド・フジコ・ヘミングというピアニストがラフマニノフのピアノ協奏曲を弾いたコンサートです。この人のことは名前を知っている程度で、演奏を聴いたのはCDも含めて初めてでした。(中略)

 ステージに出てきた時におやっと思いました。オーケストラ(モスクワ・フィル)が入った後、指揮者(ユーリ・シモノフ)と共に舞台に現れたのですが、意外だったのはその後に楽譜を持った女性が一緒だったことです。楽譜を見ながら演奏するということですね。楽譜を見ながら演奏すること自体いけないわけではありませんが、プロの演奏ではあまり見かけません。珍しいので意外に思ったわけです。でもよい演奏であればそれでいいわけですから、とくに問題はありません。

 でも奇妙なことに、せっかく持ってきた楽譜は譜面立ての上に置かないのです。譜めくりの女性の膝に置かれたまま。なんだ、見なくても弾けるのか、でもそれなら楽譜を持ってこなくてもよいのに、この女性に譜めくりの練習でもさせるために連れてきたのかなどと思っているうちに演奏が始まりました。やはり楽譜は見ません。でも、隣にいる女性は膝の上に置かれた楽譜を真剣に見ています。第1楽章の半ばを過ぎたあたりでフジコ・ヘミングの左ひじがふっと動きました。すると、間髪を入れずに女性が立ち上がって楽譜をピアノの前に広げて、「ここです」という仕草をしました。フジコ・ヘミングは指さしされた箇所をちらっと見て何事もなかったかのように引き続いて演奏をしていきました。

 ああそうか、ほとんど暗譜してはいるが80歳を過ぎたおばあちゃんだから少し飛ぶのか、それで念のため楽譜を用意していたのか、譜めくりの女性はいつでもすぐに演奏箇所が示せるように一生懸命楽譜を見ていたのだと分かりました。でも、第2楽章に入って少し経ったあたりからミスタッチが出てきて、楽譜を見る頻度も増えてきました。そのうち、とうとうオーケストラの演奏している部分と一致するピアノの楽譜の場所がどこか分からなくなって演奏が詰まってしまい、オーケストラ演奏だけが数小節流れる事態になってしまいました。その後、入ることのできる箇所まできて再びピアノ演奏が入りましたが、その後も何回かミスタッチをしながら3楽章にわたる演奏が終わりました。これだけミスを多くするプロの演奏を聴いたのは初めてでした。

 でも、私は弾いているフジコ・ヘミングを見て、下手だなとか、プロならちゃんと弾けよという気持ちには実はなりませんでした。むしろフジコ・ヘミングのピアノに向かう姿勢・雰囲気からくるものだと思うのですが、毅然としていて動じない、意志の強さの方に感銘を受けました。少々音が飛ぶくらい何なのよ、どうってことないでしょ、音が飛んでも自分の表現したい演奏ができればそれでいい、私は私の音楽を弾くのだ、他の誰でもない私は私だ、というゆるぎない自信というか潔さがにじみ出ていました。その意味で私はいい演奏だったと思いました。

 自分の演奏が終わった後の行動も普通のピアニストと違っていました。後半はオーケストラによるチャイコフスキー交響曲の演奏なので、ソリストは出番がありません、ですから先に帰ってしまっても支障はありません(中略)。ところがフジコ・ヘミングはなんと舞台に出てきて舞台の端に置かれた椅子に座ってオーケストラ演奏をそこで聴いたのです。本当に音楽が好きな人なのだなと思いました。とても印象深い演奏会だったと最初に言った意味が分かってくれたと思います。

 演奏会が終わってからもフジコ・ヘミングというピアニストのことがどうも気になったので、帰ってからネットで調べてみました。すると色々なことが分かりました。以下は、ウィキペディアに書かれていた内容の紹介になります。

 お父さんはスウェーデン人ですが日本に馴染めず、家族3人を残し一人スウェーデンに帰国してしまいました。フジコは母の手ほどきでピアノを始めます。天才少女と騒がれたりもし、若くしてコンサート活動を始めましたが、かねてよりピアノ留学を望んでいて、留学のためにパスポート申請したところ無国籍であったことが発覚します。その後、駐日ドイツ大使の助力により、赤十字に認定された難民として国立ベルリン音楽大学(現・ベルリン芸術大学)へ留学を果たします。卒業後、ヨーロッパに残って各地で音楽活動を行いますが、生活面ではお母さんからのわずかな仕送りと奨学金で何とか凌ぐという、大変貧しく苦しい状況が長く続きました。フジコは「この地球上に私の居場所はどこにもない・・・・・・天国に行けば私の居場所はきっとある」と自身に言い聞かせていたと話しています。

 ようやくヨーロッパでも才能が認められ、リサイタルにこぎつけましたが、リサイタル直前に風邪をこじらせ(中略)、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目を見ました。既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていましたが、この時に左耳の聴力も失ってしまい、フジコは演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなりました。失意の中、フジコはストックホルムに移住します。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続けます。現在、左耳は40%回復しているそうです。

 母の死後、1995年に日本へ帰国し、コンサート活動を行いますが、ブームが起こったのはNHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されたことがきっかけでした。大きな反響を呼び、フジコブームが起こりました。やがて、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなります。現在、ソロ活動に加え、海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続いています。

 彼女の経歴を知って、そうだったのか、と納得しました。あの失敗にも動じず自分の演奏を貫いていく意志の強さは、無国籍というハンディを背負いながらも努力を続け、ようやくつかんだチャンスもつかむことができず、聴力を一時失うという逆境が続く中で音楽活動を続けていったつらい経験があったのです。逆境に負けずに強く生きてきたたくましい女性だったのです。

 プロのピアニストだから、経歴は経歴として聴くに足るだけのよい演奏をしなければならない、演奏がすべてだ、という意見は正論でしょう。だから、ネットの記事を見るとフジコ・ヘミングの演奏の悪評をたくさん見つけることができます。ただそれはそれとして、過去の経歴を何も知らなかった私が演奏の出来や本人の醸し出す雰囲気も含めて感じた感銘も本物だと思います。周りからどう思われようが関係はない、私は私だ、少々間違えても自分の表現したい演奏ができればいいという、周りの誰にも媚びない毅然としてぶれない姿勢は見る者を引き付けます。そこから私たちも学ぶことがあるのではないかと思います。この演奏会は7月にあったのですが、私はその後も時々フジコ・ヘミングの演奏を、譜めくりの女性が一生懸命譜面をたどっていた様子やフジコの派手目の衣装や舞台でオケの演奏を聴いていた姿などとともに思い出します。それだけ強烈な印象があったということです。

 私たちは周りから自分がどう見られているのか気になることがあると思います。中学生・高校生なら特にそうかもしれません。でも周りの目を気にしてばかりいると自分らしさが失われてしまいます。あなた方は一人ひとりいいものを持っているのだから、イングリッド・フジコ・ヘミングのように、周りが何を言おうとも自分は自分だ、という気持ちを持ち、周りを気にせず、真っ直ぐ前を見て生きる人間になってほしいと願っています。 

 いかがでしょう。松浦校長は、ほかにも生徒さんたちに向けた数多くのメッセージを綴っておられます。下にリンク先を記しておきますので、ぜひご覧になってください。 

校長ブログ | 賢明女子学院中学校・高等学校

 

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